ホーム > ブログ > プライベート > 【気まぐれ日記】小論文万歳(内容は小論文じゃないけど…その2)

【気まぐれ日記】小論文万歳(内容は小論文じゃないけど…その2)

(これを読むのは、前回の日記を読んでからの方がいいかもしれません)

高校に入った前田少年は、英語・数学が大好きだった。この2科目は、パターンを繰り返し練習し、ある程度暗記すれば解ける。そんな学習法が当時の前田少年に合っていたわけだ。

しかし、苦手な科目は中学時代と変わらず国語と社会だった。国語の古典は大好きなのだが、現代文はまるっきりダメ。

「傍線①の老紳士の心情として、もっともふさわしいものを次から選べ」
「よし。たぶんウだな。」
「正解はイ」
「はぁ~?なんで? 普通、ウだと思うだろ」

という感じである。

社会も地理のような丸暗記科目(本当は丸暗記ではない)は大丈夫なのだが、世界史は全然覚えられなかった。

「世界史、おもしれぇ~」
「日本史のあの先生の授業、最高!」
「やっぱ政治経済が一番だな」

と言ってる友達の気持ちがまったくわからなかった。

世界史はカタカナばっかりだし、日本史は同じような苗字ばっかりだし、政治経済にいたってはまるっきり興味がわかなかった。

社会の先生の話を聞いてもおもしろさを感じないのである。いや、仮に面白いと思ったとしても、ただそれだけ。その内容は点数に関係のないところなのだ。

このような情けない当時の自分を分析してみよう。

これには、自分の『育ち』が大いに関係しているのではないかと思う。

前回の日記にも書いたが、幼いころから前田少年は「自分の意見」というものがなかった。「素直なことはいいことだ」がモットーなわけだから、人の話をしっかり聞いてその意見に従うことが「いいこと」なのだ。

村自体がとてものんびりした雰囲気で、悪人と呼べるような人は周囲にはいなかった。だから、人の意見はとても貴重なのである。反論するなんてとんでもない。素直に話を聞いて、忠実に実行できるのが褒められることなのである。

思えば、こんな経験はあまり記憶にない。

「あれじゃなきゃいやだ~」と駄々をこねてみたり、
「それは違うんじゃないんですか」と反論してみたり、
「この人は嘘を言ってるんじゃないか」と疑ってみたり、
「このチョコのこの味が好きなんだよな」とこだわってみたり…。

つまり、自分の意志で何かを決めるという経験が少なかったのだ。

だから、何か本を読んでも誰かの感想を聞かないと自分の感想が思うように言えない。だって自分がどう思っているのか、自分でもわからないのだから。したがって、人の意見に左右されやすい。

これはなぜなのか。

おそらく『思考』を放棄していたのではなかろうか。

人が言ったことに従うのは簡単である。何も考えなくていいわけだから。
「あぁ~。そうなのか。じゃ、そうしよ」

これよりもむしろ、
「えぇ~?そうなのかな。こっちの方がいいでしょ。だって、こうだもん」
と考える方が明らかに面倒くさい。しかし『思考』しているといえる。

『素直』という黄金の2文字によって『思考』することを放棄してきた長年のツケが、高校時代に表出してしまったわけである。

中学時代は、苦手といっても高校受験の範囲は狭いので、強引な『暗記』によってなんとかなってきた。

しかし、大学受験のレベルになるとやはり『暗記』だけでは追い付かない。『思考』し本当に理解した上で学ばないと通用しないのである。

そんなわけで、思考力が必要な国語や小論文、おおげさに感情を入れて楽しむべき歴史がどうしても苦手だったわけだ。

では…

なぜ、そんな少年が「経済学部・経営学科」に入り、学生時代に社会の塾講師として2年間楽しんだ後、社会人になってからもわざわざ塾講師に転職し、高校受験国語・社会のスペシャリストとしてやってこられたのか。

それは…

「教える側に回った」からである。

(続く)

カテゴリー:ブログ | プライベート 投稿日:【2008 年 12 月 18 日】
コメントなし

この記事にはまだコメントがありません。

コメントをどうぞ




このページのトップへ

福島県福島市のホームページ制作