【気まぐれ日記】小論文万歳(その1)
以前にも書いたことがあったが、小論文はその人が普段から何を考えているのかがわかるとても優れた入試だと思う。
というのも、普段意見を持っていない生徒が、小論文の入試当日に新たな意見・考えなど思いつくはずもないからだ。
たとえば「コミュニケーション」について普段まったく考えたことがない生徒がいるとする。小論文の課題が「コミュニケーションについてどう思うか」だ。必死に考えるも、焦ってしまって考えが浮かばない。
なんとか制限時間内に浮かんできたものは、
「コミュニケーションを大事にしないと、人間関係が壊れてしまうことがある」
というありきたりの主張だったりする。
別にありふれた内容でも、それが論理的に述べられていればいいのだが、残念ながらそういった生徒は、以下のような悩みも抱えていることがほとんどだ。
自分の体験を入れなくては…と考えるも、その体験も中学生が書きやすい「部活動友情論」だったりする。社会的事象を書こうと最近のニュースなどを思い出そうとするが、普段ニュースなどは見たことがないのでわからない。
つまり、普段何の意見も持たずに生活していると、残念ながら内容の薄っぺらな小論文になってしまうのだ。
経験からいうと、「素直でとても人がいい」生徒ほど内容が薄い傾向にある。
逆に、性格が少しひねくれていてちょっぴり生意気なくらいの生徒の方が、いい小論文を書いたりする。
これは私自身の幼いころからの経験から言ってほぼ間違いない。
人口5000人足らずの小さな村で育った私は、幼いころから「親・先生・目上の人のの言うことは聞きなさい」と常々言い聞かされていた。「くちごたえ」などもってのほかだ。
いや、別にうちの親はほとんど叱らない人だったので、別に「くちごたえ」するようなこともなかったのだが。
この言葉を固く守り続けてきた私は自分でいうのもなんだが、とても「素直」な子どもだったように思う。
「素直な事はいいことだ」をスローガンに、「人の好さ」を全面的にウリに出していた前田少年がつまずいたのは、高校生の時だった。
(続く)
来月社会人入試に挑戦します。本当に小論文には苦戦してます。コラム楽しく読ませて頂きました。また楽しみにしてます。