【きまぐれ日記】論理的思考が『大人』への近道
「あぁ~、わかんね」
ぐしゃぐしゃぐしゃ…(頭をかく音)
こんなシーンに遭遇することがある。
もちろん、かつて自分自身がこのシーンの主人公だったこともある。
自分のことを思い出してみると、この状態ではもうどんなにわかりやすく説明されてもシャットアウトだったように思う。
確か、高校の世界史だったように記憶している。いくら話を聞いても覚えられないのである。
S先生はとても楽しくわかりやすく説明していて、周りの友達も「あの先生の世界史面白いよな」という高評価だった。S先生のモノマネをする友達もいたりして。「コレをテイコクシュギというわけです!」なんて。
しかし、その面白いはずのS先生の話も、私にとってはなんだかつかみどころがない話に聞こえてしまって「面白く」感じないのである。話を聞いても覚えられない。一問一答問題集を繰り返しても覚えられない。
その上、似たような『カタカナ名』や『●世』という数字の多さ。これにはまいった。さすがに丸暗記が得意な私でも、そんな莫大な量に太刀打ちできるはずもなく、共通一次試験でも得点源になることはなかった。
でも、今なら楽しく覚えられる自信がある。
かなりブランクはあるが、絶対に理解して覚えられる自信はある。
しかも、好きになれる自信もある。
年をとって記憶力が衰えているというのにだ。
それはなぜか。
一言でいうと、
「国語力がついたから」
である。
高校1年当時の私は、恥ずかしながら国語が大の苦手だった。高校受験の時からひきずっていて、社会・国語が苦手科目だったのだ。今とは真逆である。
思うに、当時の私は論理的思考力に欠けていたように思う。
「どうしてそうなるのか?」
「どうしてそう思うのか?」
「どうしてそんな事件が起こったのか?」
という、「なぜ?」「~だから」の思考法ができなかったのだ。
ところで、受験勉強には2つのタイプがあると思う。
一つは『暗記中心の勉強法』だ。なぜそうなるか?ということをあまり深く考えずに、とりあえず覚えてしまうパターン。問題もとにかく量をこなして、パターン演習を繰り返して実力をつけるタイプだ。
もう一つは、『理解中心の勉強法』だ。なぜそうなるか?その公式はどうやって導かれるのか?などをじっくり考えて、答えを導くパターンだ。理解に時間はかかるが、一度理解してしまうとなかなか忘れない。
で、高校受験当時、私はどっちだったかというと…
前者の『暗記中心の勉強法』である。とにかく覚えるのは得意だった。丸暗記は大好き。
理由を考えずに暗記するのは大得意のはずの私の記憶力も、さすがに世界史のように膨大な情報量の前ではもろくも崩れ去ったのである。
大学受験をする高校生の時は『暗記』から『理解』への過渡期だったわけだ。暗記力も少しずつ落ちてきているところに、理解するための論理的思考力が弱い。そこを丸暗記で乗り切ろうとする。そりゃ無理があるわな。
ここで、先ほどの話に戻る。
高校1年当時、国語力がなく論理的思考に欠けていた私にとって、世界史のように「理由」が大切な学問は(世界史だけではないが)難しかったのである。
つまり、まだ精神的に『子ども』だったのだ。
今は、大学、営業マン時代、塾講師と経験し、少しは『大人』になって論理的思考法を身につけることができた(ように思う)。
だから、今私の塾では以前の日記でも登場した論理エンジンを採用している。私は、別に論理エンジンの回しものでも何でもない。今までに触れた数多くの国語教材で最もよいと思われるのがコレなのだ。これには、すべての学問の基礎になる論理的思考を養う要素がぎっしり詰まっている。
私も中学時代、この教材に出会いたかった。そうすれば、高校時代に世界史であんなに苦労しなくてすんだかもしれない。
でも、結局、共通一次で一番得点が悪かったのは「生物」だったりするんですが…。(38点/100点満点中)
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