【気まぐれ日記】先生、なんで勉強するんですか?
過去に生徒からこんな質問を受けたことがある(今の塾では一度もない)。
Q1
「先生!俺、将来英語は絶対使わない仕事に就く予定なんですが、それでも勉強するのはなぜですか?」
Q2
「歴史を知らなくても生活に困りませんよね?俺、過去を生きたくないんです。」
Q3
「三角形の合同条件を忘れちゃってる大人なんてたくさんいると思うんですけど。役に立つんですか?」
…いくらでも挙げられる。枚挙に暇がない。
多少脚色は入っているものの、勉強を教える仕事をしているならば似たような質問は一度は受けたことがあるだろう。
そんな時に同業者の方々はどうやって答えているのだろうか。
同業者じゃなくても、親として子供からこんな質問を受けたらどうやって答えるのだろうか。
ありがちな解答はこんな感じだろうか。
A1
「英語を使わないことはないだろう。これから国際化社会だ。普通に生活の中に外国人が入ってくるようになってくるはずだ。英語で道を聞かれたら困るだろう。だから勉強しておいた方がいい。」
A2
「歴史を知らないと新聞が読めないぞ。そんなことも知らないの?なんて恥をかくこともあるかもしれない。」
A3
「確かに合同条件なんて将来使わないけど、テストに出るから今は覚えておけ。」
A3のように最悪な解答例もあるが、どれも思わず言ってしまいそうな台詞ではある。
ちなみに私は、どんな質問でもこんな感じで答えるようにしている。(お便り『A-TOP通信』から引用)
A4
「将来使えるかどうかは関係ない。今やらなくちゃいけないことだから勉強するんだ。
君たちも大人になった時に、きっとやりたくない仕事もあるはずだろう。そんなときにどういう態度で仕事をするんだろうか?
『こんなの役に立たないから仕事しない!』ってなるのだろうか。今、自分が苦手なことにどう取り組むかが試されているんだと思うといい。社会人になるための訓練をしているんだ。今ここで言い訳をして逃げる人は、きっと将来も嫌なことから逃げ続ける。」
とか、
A5
「決められた範囲に対して計画的に勉強し、目標に対して頑張っていくという一連の『流れ』は、まさに社会人そのものなんだ。
『勉強』自体はもしかしたらあまり役に立たないかもしれないけど、『勉強すること』は段取力を鍛えるという意味でとても役に立つ。」
や、
A6
「ものごとに対して何か知識があることで、幸せになれる回数が増えるというのも事実だ。
知識があるとないとでは、人生の楽しみ方に差がつく。
例えば、ある程度歴史の知識がある人が訪れる函館と、まったく歴史の知識のない人が訪れる函館とでは、同じ函館でも感じ方が違うだろう。
オオイヌノフグリを知っている人と知らない人とでは、春の感じ方が違うかもしれない。
秋の七草を知っている人が見る野原と、知らない人が見る野原とでは、自然に対する感じ方がきっと違う。
こんな感じで、小中学校で勉強することには、人生を豊かにするための要素がたくさんつまっている。」
など。
この中で好きなのは、前向きなA6だな。
観光地に行って、『あぁ…もう少し歴史を勉強してから来るんだった…。』と後悔したことが何度もあるし。
やっぱりいろいろ知ってた方が人生楽しい。
結局、人間って
「へぇ~~」
って言いたいんだと思う。
えっ?私だけ?
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