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【きまぐれ日記】実家の話

実家は自営業をしていた。お茶の小売業なのだが、お茶以外にも駄菓子がおいてあった。よく『おやつ』と称して、ちょくちょく店の棚からもらっては食べていた。それをよくうらやましがられたもんだ。

それはさておき、こうして自分が独立自営の道を歩んでみると、父の気持ちがわかったりする。

もちろん、東京の某商社で営業をしている頃も、商売をしていた父の気持ちがわからなかったわけではない。「人に売るっつうのは大変なんだな」と身にしみてわかったりして。

しかし、サラリーマンとしての営業だから、自分が売らなくても他のメンバーが売上を出せば自分の給料は出る。そういう意味では危機感はゼロだったといってもいい。

今はどうか。

もし生徒が一人もいなくなってしまったなら、売上はゼロだ。
そうなると、給料は…ない。

これって当り前のことだが、自営業をするまでは実感がわかなかった。
残高が残り少ない通帳を見て現実に引き戻されるわけだ。

実は、この塾を開業した初期に実家の父宛に手紙を書いたことがあった。

というのも、極度の不安を抱えていたからだった。開校当時集まった生徒は、想定していた生徒数よりも大幅に少なく毎日がドキドキだった。こんなんじゃ貯金もすぐ底をついてしまう。どうしたらいいのか。

その時にやっと実家の父の気持ちがわかったのだ。それを書かずにいられなくなって、手紙をしたためた。突然の手紙に実家の両親も驚いたらしい。

手紙の中に書いたことがある。
それは、父がしょっちゅう言っていた言葉についてだ。

父の口癖、「もったいねぇっ!」についてだった。

無駄な電気が付いていれば、「消せ」
誰もテレビを見ていなければ、「消せ」
長電話をしていれば、「切れ」

この台詞を吐く父の気持ちは、子供だった当時は「せこいなぁ」くらいにしか思わなかったが、今では痛いほどよくわかる。

節約した経費は、すべて家計の収入になるからなのだ。これは当たり前のことである。だから、我々4人の息子&娘(私は4人兄弟の末っ子)に無駄に経費を使わせるわけにはいかないのだ。

そんな父は、日曜日にもお客さんが来るといけないので、必ず店を開けていた。
店を開けるといっても、店は母がみて、父は外に商売に出かける。車にたくさんの『売り物』を載せて。行商にいくわけである。

365日、休みなしだ。あ、正月は休んでたか?
いや、どうだっただろう。

とにかく、それを覚えていないくらいよく働いていた。
家でゴロゴロしている姿を見たことがなかった。

だから、残念ながら父と遊んだ幼少の記憶はほとんどない。
でも、家の前の細い道路でキャッチボールをしたのと、釣りに連れて行ってもらったこと、そして、長兄の高校野球を応援に行ったことについては、その時の会話まで鮮明に覚えている。

特に『釣り』は、学校の作文に書いて賞をもらったくらい、うれしかった思い出だ。

今思うと、父はものすごいプレッシャーと毎日闘っていたのではないだろうか。

子供4人を食わせていかなくてはならない。人口5千人足らずの小さな山村を市場に商売をしてだ。二男の父には売るような田畑や山もなければ、家もない。ましてや遺産なんかあるはずもない。いわゆる「裸一貫」からお茶の行商を始めた。村中を自転車で歩き回ってお茶を売りながら少しずつ貯えた。雨の日も風の日もカッパを着て自転車に乗りながら、村中の家々を回りながらコツコツ地道に働いた。

そしてついに、村の中心地についに念願の自分の店を構えた。

感無量だったに違いない。

私もこの塾を開校し看板がついた時に、思わず涙がにじんだのを覚えている。

「やっと開校できた。これが自分の塾だ…」

何度も塾を外から眺め、どれほど感慨にふけったことか。

と同時に、とてつもなく大きな不安に襲われた。生徒が来なければ食べていけない。はたして大丈夫なんだろうか。いや大丈夫なはずだ。何度も何度も自問自答を繰り返した。

きっと父もそうだったはずだ。

父は自分の苦労に関しては無口だ。余計なことは一切話さない。
自分の苦労話を自慢することもない。

たいていそういった苦労話を教えてくれるのは母だった。
いや、母も父の弱音を聞いた事はないのではないだろうか。
母は、『父はきっとこう思っているに違いない』と、想像で私に話してくれたのではないだろうか。

人の前では不安を一切見せなかった父は、自分と同じ独立自営の道を選んだ私に言った。

「誰からも何も言われねぇ。
 誰からもあれしろって言われることはねぇ。定年もねぇ。
 やりがいはある。
 だげんちょも自分が動かねば金は入って来ねぇ。休んでだら金にならね。
 そりゃ大変だがんな。」

50年以上、商売をしてた父の台詞は重かった。

そんなことを考えると、お預かりした生徒からいただく授業料を果たして無駄に使えるだろうか。

そんなものにお金を使っているなら、授業料に還元しろよ。と思えるような塾を時々みかける。その使い方は生徒の成績向上に関係あるお金なのかい?と。

もちろん、生徒を集めなければ塾がつぶれてしまう。だから広告を出すのは致し方ない。
しかし、「その広告は意味ないんじゃないの?」と思える塾も中にはある。
その広告代も、生徒の授業料から出されているのだから。

以前勤めていた塾の塾長がよく言っていた。

「君らの給料は、保護者が汗水流して働いた授業料から出ているんだ。それを絶対に忘れてはならない。」と。

だから私は、塾の経費を節約することは、保護者の授業料を節約することにつながるという認識でいる。使うべきところは使う、節約すべきところは節約する。そんな気持ちで堂々と節約している。

「もったいねぇ!」

いい言葉だ。

カテゴリー:ブログ | プライベート 投稿日:【2008 年 10 月 14 日】
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